東京高等裁判所 昭和48年(ネ)248号 判決 1976年3月24日
控訴人
波多野鋻吾
右訴訟代理人弁護士
小林宏也
外二名
被控訴人
広瀬芳郎
右訴訟代理人弁護士
斉藤善治郎
外一名
主文
一、本件控訴を棄却する。
二、当審における拡張請求について。
(1) 被控訴人は控訴人に対し昭和四二年二月一日以降昭和五一年二月二日まで原判決添付物件目録(一)記載の土地につき3.3平方メートル当り一ケ月金七〇円の割合による金員を支払え。
(2) 控訴人のその余の請求を棄却する。
三、当審における訴訟費用を一〇分し、その九を控訴人の、その余を被控訴人の各負担とする。
四、この判決は、第二項の(1)にかぎり、仮りに執行することができる。
事実
控訴代理人は「一、原判決を取消す。二、(主位的請求)(1)被控訴人は控訴人に対し原判決添付物件目録(二)記載の建物を収去して同目録(一)記載の土地を明渡せ。(2)(イ)被控訴人は控訴人に対し昭和四二年二月一日から昭和四四年一月末日まで一ケ月金七二円、昭和四四年二月一日から昭和四六年一月末日まで一ケ月金九六円、昭和四六年二月一日から昭和四七年三月末日まで一ケ月金一三七円、昭和四七年四月一日から明渡済みにいたるまで一ケ月金一六〇円(いずれも3.3平方メートル当り)の割合による金員を支払え。(ロ)もし昭和四一年一二月二二日付主位的解除が理由がなく昭和四四年四月二二日付予備的解除が認められるときは、被控訴人は控訴人に対し昭和四二年二月一日から昭和四四年四月二二日まで一ケ月金七〇円、昭和四四年四月二三日から昭和四六年一月末日まで一ケ月金九六円、昭和四六年二月一日から昭和四七年三年末日まで一ケ月金一三七円、昭和四七年四月一日から明渡済みにいたるまで一ケ月金一六〇円(いずれも3.3平方メートル当り)の割合による金員を支払え。三、(予備的請求)(1)被控訴人は控訴人に対し金七八万八、六六七円およびこれに対する昭和四二年二月一日から支払済みにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。(2)(当審における拡張請求)被控訴人に対し昭和四二年二月一日から昭和四四年一月末日まで一ケ月金七二円、昭和四四年二月一日から昭和四六年一月末日まで一ケ月金九六円、昭和四六年二月一日から昭和四七年三月末日まで一ケ月金一三七円、昭和四七年四月一日から明渡済みにいたるまで一ケ月金一六〇円(いずれも3.3平方メートル当り)の割合による金員を支払え。四、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は本件控訴および当審における拡張請求を棄却するとの判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述および証拠の関係は、左記に付加するほか原判決事実摘示のとおり(但し原判決四丁裏末行の「前記」を「昭和四一年一二月三日」と改め、同八丁裏五行目の「第一二号証」の次に「、第一三号証の一、二」を加える。)であるから、これを引用する。
(控訴代理人の付加陳述)
(一) 信頼関係破壊を理由とする主位的解除は昭和四一年一二月二二日頃なされたから、控訴人は主位的請求の(2)の(イ)として昭和四二年二月一日以降原判決添付物件目録(一)記載の土地(以下「本件土地」という。)の明渡済みにいたるまで本件土地の賃料相当の損害金の支払を求め、仮りに右主位的解除が認められず、昭和四四年四月二二日付の信頼関係破壊を理由とする予備的解除が認められる場合には主位的請求の(2)の(ロ)として昭和四二年二月一日から昭和四四年四月二二日までは本件土地の約定賃料(すなわち3.3平方メートル当り一ケ月金七〇円)、昭和四四年四月二三日以降本件土地明渡済みにいたるまでは本件土地の賃料相当の損害金の支払を求めるものである。
(二) 更新料を支払う慣習法ないし事実たる慣習は借地法第四条、第六条、第一一条の規定に何ら反するものではない。借地人が更新料の支払をしないときは更新の効力が否定されるのであれば格別、更新の効果は更新料の支払の有無にかかわりなく生じ借地人は単に更新料支払の義務を負担するにとどまるのであれば、更新料の支払を借地人に負担させても借地権の継続的保有を何ら害するものではない。更新料は賃料の補充および更新拒絶権ないし異議権の放棄の対価ないし代償としての意味を有すから、更新料の支払は当然であるのみならず、更新をめぐる紛争を防止し、更新を助長、促進するものとして、借地人に更新料の支払義務を負担させることは前記借地法の規定にいささかも反するものではない。また合意更新の場合には更新料の支払を約するのが一般であり、裁判所においても和解又は調停の条項として借地人に更新料支払の義務を課す例も多く、もしかかる合意更新における更新料の支払の合意が有効であるとすれば、法定更新の場合の更新料の支払義務についてもその効力の点では区別する理由はない。
(三) 東京では更新料の支払は昭和三〇年以降慣習となつたものであつて、賃貸借契約締結当時は慣習として確立していなかつたとしても本件のようにその後の社会的経済的事情の変更により事実たる慣習として確立されるにいたつた場合には契約当事者はこれに従つて賃貸借関係を処理することを約したものというべきである。
(四) 本件では控訴人は賃貸借契約の期間満了に先立つ昭和四一年五月頃被控訴人に対し更新を求める意思を確かめたところ、被控訴人は更新を希望し世間相場の更新料を支払う旨を控訴人に約束しながら、結局更新料の額について折合がつかなかつたものである。したがつて被控訴人は社会的に妥当な相当額すなわち少なくとも更地価格金二二万九、二〇〇円(坪当り)の八%の割合によつて計算した金七八万八、六六七円の更新料を控訴人に支払う義務がある。
(五) 予備的請求の(2)(当審における拡張請求)は本件土地の賃料請求である。
(被控訴代理人の付加陳述)
(一) 借地契約の法定更新に当り、賃貸人の請求があれば当然に賃借人が更新料支払の義務を負うごとき慣習法ないし事実たる慣習は存しない。
(二) 仮りに、控訴人主張のような更新料支払に関する事実たる慣習が存するとしても、被控訴人は更新に際し更新料の支払を拒絶し、もつて、かかる事実たる慣習に反する意思を表示しているから、事実たる慣習が契約内容として作用する余地は全くない。
(三) 借地法は法定更新に当り借地人になんらの義務をも負担せしめない趣旨であるから、更新を契機として借地人に当然に更新料の支払義務を負担せしめるがごときは、まさに借地人に不利益なる条件を加重するものにほかならず、借地法第一一条によつて禁止されているところと解すべきである。なお、控訴人は更新料は更新の拒絶権ないし異議権の放棄の対価ないし代償としての意味を有するから借地人が更新料の支払義務を負担するのは当然である旨主張するが、借地法によれば、更新の拒絶ないし異議につき正当の事由を具備しない場合は、前契約と同一の条件を以て更に借地権を設定したものと看做されるのであつて、しかもその正当の事由の存在は厳格に解釈される結果、世上賃貸人に更新拒絶ないし異議の正当の事由が存する事例は稀であることを考えると、更新に際し賃貸人の更新拒絶権ないし異議権の放棄の対価ないし代償としての更新料の支払義務を借地人が当然に負担すべきものとする控訴人の主張が失当であることは明らかである。
(四) 被控訴人は、昭和四一年一一月末頃同月分の地代を控訴人に持参したところ、控訴人は更新料を要求した。そこで被控訴人は更新料支払の要否につき東京都庁内の広報担当者に問合わせ、被控訴人にも相談したところ、いずれも法律上は更新料を支払う必要はないとの返事であつた。その後控訴人から再三更新料の請求があつたが、被控訴人は控訴人の感情を害さないように「相談してみます」とか「考えてみます」とか返事をしたに過ぎず、これは単なる社交儀礼的な挨拶であつて更新料の支払を約束したものではない。
(五) 仮りに世間並みの更新料は支払う旨の合意が成立したとしても、更新料の金額について結局当事者間に折合がつかなかつたのであるから、被控訴人が更新料の支払をしないことをもつて賃貸借契約の継続を著しく困難ならしめる背信行為があつたことを理由とする控訴人の本件賃貸借契約の解除は効力がなく、合意に基づく更新料支払の請求も失当であるといわなければならない。
(証拠関係)<略>
理由
一まず、控訴人の主位的請求の当否につき判断する。控訴人は、昭和四一年一二月二二日被控訴人に対し本件賃貸借契約の継続を不可能又は著しく困難ならしめる背信行為があつたとして右契約を解除(主位的解除)し、仮りに右解除の効力がないとしても昭和四四年四月二二日右主位的解除の原因たる事由に加えてさらに被控訴人の背信行為の存することを理由に本件賃貸借契約を解除(予備的解除)した旨主張するが、当裁判所は、当審におけるあらたな証拠を参酌するも、なお原審と同じく控訴人主張の右主位的解除および予備的解除はいずれもその効力を生じるに由がなく、結局控訴人の主位的請求は失当として棄却すべきものと判断するものであつて、その理由は原判決の理由説示中の関係部分(原判決一〇丁表三行目から同一五丁裏七行目まで)と同一であるから、これを引用する。
二次に、すすんで控訴人の予備的請求の当否について判断する。
(一) 控訴人は、借地契約の賃貸期間の満了に当り、賃貸人の請求があれば当然に賃貸人に対する借地人の更新料支払義務が生ずる旨の商慣習ないし事実たる慣習が存在すると主張するが、かかる商慣習ないし事実たる慣習の存在は認めることができない。もつとも、東京都内において、借地契約の賃貸期間満了に当り、賃貸借契約当事者双方の合意に基づき借地人から賃貸人に対しいわゆる更新料を支払う事例が多いことは当裁判所に顕著なところであるが、借地法第四条第一項本文、第六条第一項本文等の規定が適用される場合には、賃貸人に更新拒絶・異議の正当な事由の存しないかぎり、賃貸人の承諾をなんら必要とすることなく、かつ借地人になんらの金銭的負担なくして更新の効果を借地人に享受させるのが借地法の趣旨であることを考えると、上記のように借地人から賃貸人に更新料が支払われる場合は、契約当事者双方の合意に基づく更新料の授受を附款とする合意更新にほかならないと解するのが相当である。
したがつて、控訴人主張のごとき商慣習又は事実たる慣習の存することを前提とし、かかる商慣習又は事実たる慣習に基づき賃貸人の一方的請求により借地人に更新料支払義務が生ずることを理由とする控訴人の被控訴人に対する更新料の請求は、その余の点について判断するまでもなく失当といわなければならない。
(二) 次に控訴人は更新料支払についての合意が成立したことを理由として更新料の支払を求める旨主張するので按ずるに、期間満了に当り賃貸人が更新を拒絶し又は異議のあるときは正当事由の存否につき法的結着をつけるために訴訟上の紛争にもち込まれるおそれがあるので、かかる紛争に発展するのを未然に防止するため更新をめぐる拒絶権ないし異議権を事実上放棄せしめる対価ないし代償ともいうべき契約当事者双方の合意に基づく個別的具体的ないわゆる更新料を授受することによつて更新をはかり円満な借地関係の存続を実現することは、結局前述のとおり合意にかかる更新料の授受をその附款とする合意更新の締結にほかならないものであつて、かかる合意は、借地関係の存続を借地契約当事者の円満な私的自治にゆだねるものとしてなんら借地法の規定に反するものではないと解すべきところ、本件において控訴人は、期間満了に先立つ昭和四一年七月頃被控訴人に対し、もし更新を希望するなら更地価格の五%ないし一〇%の割合による更新料を支払われたいと申入れたのに対し、被控訴人は同年一〇月一〇日頃3.3平方メートル当り金五、〇〇〇円の割合による更新料を認めてほしいと回答し、折合がつかなかつたこと、しかもその後被控訴人は都庁の広報担当者や弁護士に相談した結果更新料を支払う義務はないとの教示を受けたので控訴人の更新料支払の要求を拒絶するにいたつたこと、他方控訴人においても賃貸借期間満了に先立つ昭和四一年一二月二二日頃本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたことは既述のとおり(原判決一〇丁裏二行目から同一一丁裏一行目まで、右認定に反する控訴人の当審における尋問結果は措信しない。)である。右事実によれば控訴人と被控訴人との間に当初接衝された更新料の支払についても結局合意をみるにいたらなかつたものと解するのが相当である。とすると、更新料支払の合意が成立したことを前提とする控訴人の請求は失当といわなければならない。
(三) そこで、当審における拡張にかかる控訴人の賃料請求について按ずるに、昭和四二年当時の本件土地の約定賃料が3.3平方メートル当り一ケ月金七〇円であることは当事者間に争いがないところ、その後控訴人が被控訴人に対し賃料の増額請求権を行使したことについては主張立証がないから、結局、被控訴人は、控訴人に対し、昭和四二年二月一日以降当審における口頭弁論終結の日である昭和五一年二月二日まで(その後の賃料についてはあらかじめ請求する利益があるとは認められない。)本件土地につき3.3平方メートル当り一ケ月金七〇円の割合による約定賃料を支払う義務はあるが、その余の請求は理由がないから失当として棄却を免れない。
三とすると、控訴人の本訴請求中その主位的請求および予備的請求(当審における拡張請求にかかる分を除く。)を棄却した原判決は相当であつて本件控訴は理由がないからこれを棄却すべきものとし、当審における拡張にかかる賃料請求は前述の限度において正当として認容すべきものであるがその余の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条、第九二条、仮執行宣言につき同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(瀬戸正二 小堀勇 青山達)
<参考・原審判決理由>
(東京地裁昭和四二年(ワ)第九九八八号、建物収去土地明渡請求事件、同四八年一月二七日民事第一四部判決)
【理由】
第一 主位的請求について
一 原告が昭和二二年一月頃その所有にかかる本件宅地をその主張のような約定で被告に賃貸したこと、被告が本件宅地上に本件建物を建築所有して右宅地を占有していることについては当事者間に争いがない。
二 原告が昭和四一年一二月二二日頃被告に対し、本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたことについては当事者間に争いがない。
そこで、被告に即時解除の事由すなわち、本件賃貸借契約の継続を不可能または著しく困難ならしめる背信行為があつた否かについて判断する。
<証拠>を総合すれば、原告は、借地契約の更新に当り、借地人から地主に対して相当額の更新料を支払うとの慣習が成立しているものと考えていたので、本件賃貸借契約の期間満了に先立つ昭和四一年七月頃、本件賃貸借につき被告の妻訴外広瀬ゆきに対し、契約を更新する意思の有無を確かめるとともに、更新を希望するのであれば、世間一般の例にならない更地価格の五ないし一〇パーセントの割合による更新料の支払を受けたい旨申し入れたところ、被告は、同年一〇月頃原告に対し、被告と同様に原告から土地を賃借している訴外西村某が3.3メートル当り金五、〇〇〇円の割合による更新料の支払をもつて更新を認められた例を挙げて、これと同一の条件で更新を認めて欲しい旨回答し、双方の条件に相当な開き(ちなみに、原告は当時本件宅地の更地価格を3.3平方メートル当り金四〇万円と考えていたので、その五ないし一〇パーセントは、3.3平方メートル当り金二ないし四万円となる)があつたので、折合がつかなかつたこと、その後被告は、東京都の広報担当者や弁護士に相談した結果、更新料を支払う必要はない旨の教示を受けたので、その支払を全く拒絶するに至つたことが認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
また、<証拠>を総合すれば、本件宅地とその西側の隣接地との境界線上には三段積みの大谷石が、またその両端には六角の御影石がそれぞれ境界標石として設置されていたところ、被告は、昭和四一年秋頃原告の承諾を得たうえ、右境界線に接して車庫を建築した際、原告に無断で右境界標石の上にブロックを積みかつセメントで塗り固め、これを車庫の壁として利用したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
しかしながら、原告主張のような、借地契約の法定更新に当つて賃貸人の請求があれば、賃借人に当然に更新料支払の義務が生ずる旨の商慣習ないし事実たる慣習の存在については、成立に争いのない甲第一、二号証、原告本人の供述(第二回)によつてもこれを認めるに足りないし、他にこれを認めるに足りる証拠はなく、却つて、そのような商慣習ないし事実たる慣習が成立する余地がないものと解すべきことは後に説示するとおりであつて、借地人には法律上更新料を支払う義務は当然には存しないものと解すべきであるから、原告において当然被告より相当額の更新料の支払を受けうるものと期待するところにそもそも無理があつたと言うべく、その支払を拒絶するに至つた被告の前記所為をもつて背信行為と目することは到底不可能である。
また、境界標石をセメントで塗り固めた所為についても、隣接地との境界線に接して車庫を建築することについては原告の承諾を得ていたわけであるし、被告においてことさらに隣地との境界線を不明確ならしめる等不法不当な意図があつたことを窺わせる資料は見当らないから、右所為をもつて本件賃貸借契約を解除するに足りる背信行為と証価することはできない。
そして、以上の事由を合わせ考えても、右の結論に差異はないものというべきであるから、原告の前記契約解除の意思表示はその効力を生ずる余地がない。
三 次に、原告が以上の事由に加え、新たな即時解除の事由を主張して、昭和四四年四月二二日の本件口頭弁論期日において被告に対し、改めて本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたことは、本件記録上明らかであるので、その効力について判断する。
<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。(なお、この外被告が原告主張のような常軌を逸した行動に及んでいることについてはこれを認めるに足りる証拠がない。)
(一) 原告は、被告を相手方として東京簡易裁判所に対し調停の申立をなし、被告との間で更新料の支払に関し協議する機会を設けたが、被告は右の調停期日に専ら代理人を出頭させ、自らは一度出席したに過ぎず、更新料の支払交渉につき必ずしも熱意を示さなかつたため、結局右の調停は不調に終つたこと。
(二) 原告が前記調停の申立をした後は、原、被告間に感情的なわだかまりを生じ、日常の接触ないし交渉も従前に比して疎遠になり勝ちであつたこと。
(三) 被告は、昭和四二年八月一五日夜半過まで原告方のステレオの音に悩まされたので、翌一六日午前八時頃出勤のため自宅を出ようとしていた原告に近づき、「お前のせがれはステレオの音を大きくさせて迷惑だ。お前は知らないのか。」と大声で注意したところ、原告が「(息子とは)部屋が違うから知らない。」と答えたので、その応待に対し、被告は激昂していきなり原告の胸部付近を両手で突いたうえ、なおも原告の左手首をつかんで引つ張ろうとし、原告がこれを振り払おうとしてもみ合つているうち、原告は左肩関節を傷めたこと。
<証拠判断略>
しかしながら、前に説示したとおり被告に法律上更新料支払の義務が存しない以上、被告が原告の申立てた調停に対して必ずしも熱意をもつて臨まなかつたからと言つて、これを背信行為と評価することはできない。
また、前記調停の申立後、原、被告間の関係が従前に比して多少疎遠となつたことも高々当事者の主観的感情的な次元の事象に過ぎず、とくに取上げるに値しない。
次に、前記昭和四二年八月一六日の被告の所為についても原告が前記調停の申立をした後は、原、被告間に感情的な齟齬を生じ、些細なことにも激昂しやすい心理状態であつたとはいえ、被告の原告に対する言動、就中原告の身体に対し軽微ではあるが暴行に及んだ点は、社会常識に照らし些か穏当を欠くものであつたことは否定できないけれども、反面原告の被告に対する応待にも全く問題がなかつたわけではなく、原告の負傷にしても被告の害意にもとづぐものと言うよりいわばはずみによつて生じたものであり、また右の程度の事態は、感情的に齟齬を来たした当事者間においてはややもすれば起りうることであることを併せ考えると、未だ右の所為をもつて本件賃貸借の継続に対する重大な障害と見ることはできない。
以上のとおり、原告が被告の背信行為として主張する事由のうち当裁判所が認定したところはいずれも、本件賃貸借契約の継続に対する障害事由としては、殆んど顧慮に値しないかまたは極めて軽微なものと言うべきであつて、これらをすべて併せ考えても、到底本件賃貸借契約の継続を不可能または著しく困難ならしめる背信行為と認めるには足りないから、原告のなした前記契約解除の意思表示もその効力を生じるに由ないものである。
四 したがつて、原告の本件建物収去、土地明渡の請求は失当である。
第二、予備的請求について、
借地契約の法定更新に当り賃貸人の請求があれば当然に賃借人に更新料支払の義務が生ずる旨の原告主張のような商慣習ないし事実たる慣習の存在を認めうべき証拠のないことは既述のとおりであるが、仮に、右のような、一般的に法定的更新があれば賃貸人はその一方的請求により当然に更新料請求権を取得するとの慣習の存在が認められるとしても、このような慣習は、賃貸借の法定更新により当然に賃借人に更新料という経済的負担(原告の主張によるもそれは決して軽いものではない。)を強制するものであつて、事実上賃貸人の不利に、借地法の定める法定更新の要件を加重する結果となるものといわざるをえないから、同法第一一条の規定の精神に照らし、その効力を認めるに由ないものと解すべきである。(なお、近年東京都内等都市部においては、借地契約の更新に当つて借地人から地主に対し、借地の更新価格に対する一定割合の金員を更新料として支払う例がかなり一般化しており、裁判所における和解あるいは調停の条項として、借地人に対し相当額の更新料支払の義務を課する事例も少なからず見受けられることは公知の事実であるけれども、これは、個別具体的にそれぞれの状況判断のもとに更新料の支払を約するものであるから、その効力いかんは別個の問題である。)
したがつて、原告の更新料の請求は失当である。
第三、以上の次第で、原告の被告に対する主位的請求および予備的請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(真船孝允 篠清 安倉孝弘)